宝川温泉は民話の時代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国征伐の折り
当地によられ武尊山(ほたかやま)に上られ、病に伏せってしまい困っていると遙か下界より
白い鷹の飛び立つのを見つけ、その地に立ち寄ってみると温泉が湧いており、
そのお湯につかると病が治り旅を続ける事が出来たと伝えられている。
そのため宝川温泉はその昔、『白鷹の湯』(はくたかのゆ)と呼ばれていました。
宝川温泉がいつ頃から温泉として利用されていたかは、今のところはっきりした史実や遺跡は発見されていない。
しかし近くで縄文人の遺跡が発見されているのを見ると、その時代から利用されていたと考えられる。
実際草津温泉などでも縄文の遺跡が発見されているが、その地形や標高などから考えると、決して古代人にとって住み良い場所ではなかったと思われる。実際遺跡が発見されている事実を考えると、古代人にとって温泉が非常に重要な役割をはたしていたのだと考えられている。お湯を沸かす技術はとても難しく、まして全身を温めることは、温泉を除いては不可能だったのであろう。
現代人と同じように、温泉は病を治す有効な手段であって貴重なものだったと考えられる。
猿が学習によって温泉に浸かっている温泉地もあるが、その姿が古代人のそれに重なって見えます。
宝川温泉の名前は、旅館を分けて流れる一級河川宝川に由来している。
宝川とは文字通り、宝がとれる川の意味で昭和の初めまで、銅山として採掘が行われていた。
古くは江戸の昔から、掘られていたと思われる。
宝川温泉が現在の形になったのは、大正時代で、そのころ湯治場としての宿泊施設が作られている。
しかし当時は交通の便が悪く、水上から徒歩でこの地を訪れていた。
当時は産業としては林業しかなく、材木を引き出すトロッコが唯一の交通手段であった。
現在のように発展したのは、昭和20年代後半から始まる一連のダム工事によって道路が建設され電気が通る様になってからである。
昭和30年に約2年の大工事により、現在の本館が造られ温泉旅館としての形が整い次々と施設が作られて行った。
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